M&A月報 No.241「世界のリーダー」

50日間の休暇を頂き日本に帰っていた。

寒いと感じていたら、急に暑くなる、心地よい春の期間が非常に短いように感じたが、今年は桜の開花が遅く、また長く,満開の桜を満喫する事が出来、日本の春の素晴らしさを今更ながらに感じた。

TVを見ると、相変わらずの劇場型放送で、重箱の隅を突っつく政治家のやり取りに税金の無駄遣いを感じた。

何故か財政問題を追及せぬ民進党にやきもきしていると、何と自民党の中で、この財政問題を取り上げるグループが遂に出現した。

時期総裁を狙っての動きとも感じるが、大変喜ばしい事と思うと同時に、民進党には全く失望している。

そして“忖度”なる言葉が今年の最大の流行語になる様に感じられる程、頻繁に語られていた。

政治家/官僚/国家公務員ならずとも、一般企業の社員であっても、この世の中、必ず何らかの忖度は存在しているのでは無かろうか。

サラリーマンを長年経験して来たが、通常の業務の中で忖度ゼロの状態は考えづらい。

社長や上長の、平素からの発言等で、ご意向/お考えを、斟酌し、その線に沿った形で仕事を薦めれば、諸認可が得やすいと考え、仕事をしているのでは無かろうか。

それを少しでもあれば大問題視するのは如何なものかとも感じた。

不祥事で不満ながらも辞職に追い込まれた官僚が、その後に内部告発的な事をするのも如何なものであろうか。

何故現職の時に問題提起しなかったのかと問いたい。

米国はトランプ大統領の過激な動きで国内のみならず、世界と問題を越し、日本は重箱の隅の議論で世界のリーダーになるにはほど遠い状況、これを好機と見たか、昨今、中国のASEAN地区への攻勢には目を見張るものがある。

タイは鉄道/高速道路/戦車/潜水艦、比も歩み寄り政策、ミヤンマーではインフラ整備、最近訪問したスリランカでは、高速道路/発電/港湾/海の埋め立て/高層マンション/TV塔等々何を見ても中国資本、将来大きな利益を生み出すと思える、これ等地域に全く政治的議論が無い日本、大変寂しく感じている。

未だに首相になって欲しい人物No1のアナン元首相が25年前に、“ASEANは中国と戦う為に作ったが、中国と敢えて喧嘩をする気は無い。将来日本を守れる(中国から)のは米国では無い、米国民は日本の為に血を流す事はしない。頼れるのはASEANだと気づくべきだ。今ASEANが欲しているのは、日本の技術の移転とASEANのリーダーになって呉れる事だ。日本の軍備拡大には賛成する。“と述べた言葉をまた思い出している。

当地ではプラユット首相がTVを通じ国民に下記の4つの質問を行った。

1.    選挙を行って本当に良い政府が誕生するであろうか?

2.    良い政府が誕生しなかったらどうすれば良いと思うか?

3.    選挙は民主主義の原点だが国の将来を考えずに行うべきか?

4.    過去に不適切な行為のあった政治家を出馬させても良いか?

現職の首相が、TVを通じて、国民にこの様な質問を投げかけた事例は世界に無いと思うし、大きな波紋を投げかけた。

早速、賛否両論のコメントが寄せられだしたが、野党の党首よりは非難の声が上がったが、首相は政治家には聞いていない。国民に聞いていると一蹴した。

首相よりは、選挙に当たって、国民に良い国に付いて考えて欲しかったと説明が付け加えられた。

果たして、どれくらいの国民の声が寄せられるのか、その結果が注目される。

暫定政権は3年を迎えるが、あるアンケートによると、プラユット首相再選に賛成な人は52,8%との結果が出たともされている。

ある著名なタイ人と会食をした。

ズバリ今後の政局を聞いて見た。

“来年半ばまでには総選挙が行われる。過半数獲得の党は無く、連立となる。首相はプラユット現首相が継続。”でした。

妥当な所と感じているが、如何なりましょうか?

軍事政権発足時に、非民主的として、制裁を加えると米国/日本はコメントし、急速に関係が冷え込んだが、その後、日本は高速鉄道を餌にされ、プラユット首相を日本に招待、お世辞外交で何とか取り繕ったが、米国は相変わらずで、大使が会合を開いても、閑散たる状況となっている。

タイは更に、当てつけに、中国の潜水艦3隻の購入を決めたが、今回更に装甲車34両を買う事を決め、且つ諸問題のある中国の高速鉄道導入も、プラユット首相が、首相の特権である44条を発動、予算の認可/中国人労働者の自由なる滞在/農地規制の撤廃等々で早期始動を促した。

しかし、トランプ大統領に期待してか、7月には首相の訪米を発表した。

プラユット首相としては、軍事政権への理解を貰おうと言う所であろうが、見返りにトランプ大統領が何を求めるのであろうかという点に注目が集まっている。

弊社は1997年7月1日、POW SARASIN氏の強力な後ろ盾を得て発足した。

翌2日には為替が半分と成る、バーツを発信源とする大恐慌に見舞われた。

タイの銀行は半分が閉鎖され、外資による不良資産の整理が行われた。

それからの二年間は全く仕事にはならなかった。

しかし多くの皆様に支えられ、二十周年を迎える事が出来ました。

既に喜寿、世の中は第四次産業革命の始まり、第一線より身を引く決意をしました。

二十年間のご支援、ご鞭撻に深く感謝を申し上げますと同時に、後任の辻本や弊社社員一同に相変わりませぬご指導ご鞭撻をを宜しくお願い申し上げます。

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