M&A月報 No.240「プミポン前国王陛下の弔問」

昨年10月13日に崩御されたプミポン前国王陛下の弔問に行ってきた。

現在、ご遺体は、王宮内のドゥシット・マハ・プラサート宮殿に安置されている。

崩御後15日目の儀式が終わったのを受け、目下、一般開放されている。

フアランポーン中央駅から王宮行きの無料シャトルバスが運行されており、シャトルバスを乗り継ぎ、王宮に向かう。途中、身分証明のゲートがあり、外国人はパスポート提示の必要がある。

開放直後は、黒い服を身にまとった大勢の人で溢れ、長蛇の列。宮殿に入れるまでに長時間かかったが、その日は、平日の夕刻であったためか、ほとんど待つことなく、王宮の入り口まで進むことができた。

王宮まで、隣接する王宮前広場、通称サナームルアン沿いを歩くのだが、10月25日から29日の5日間に渡って営まれる国葬場の建設が急ピッチで進められていた。

火葬壇は須弥山をイメージしたもので、基部が60メートル四方、高さが50・49メートルに達する。守護神や神獣などの彫像70体以上が配され、金色に輝く壮麗なものとなる予定である。棺を王宮から火葬壇に運ぶのが、高さ11メートル、長さ18メートルの豪華装飾の山車のような車である。216人で引くことになっている。220年以上前、現チャクリ王朝初代のラマ1世時代に作られたものが、修理を重ねながら今も使われている。現在、工匠たちが傷み具合を調べながら鋭意修理中である。

王宮の入口で4列に整列する。軍人や警察官、王室庁のスタッフによる丁寧な指示や誘導がある。救急や水/軽食提供、分別ゴミ収集のボランティアの方々の働きぶりも献身的で、そこからもプミポン前国王陛下がいかに敬愛と尊敬を集めておられたかが伺える。

4列の列がドゥシット・マハ・プラサート宮殿に近づくにつれ、2列となる。

宮殿敷地内に入ると、僧侶がお経を唱え、周りでは政府関係者や企業関係者が合掌をしている。企業については事前登録をすれば、列席することができるとのことである。

一般弔問客は、靴を脱ぎ、再度2列で宮殿入口で待機。その後、スタッフの指示に従い、室内へ。宮殿内には、台座の上に宝石がちりばめられた黄金の座棺が置かれている。座棺は王族などの葬儀に伝統的に使われてきたが、近年、ご遺体は別のひつぎに安置されているとのこと。

ゆっくりと黄金の座棺に近づき、スタッフよりの合図で一同床に腰を下ろし正座をし、合掌をしながら一礼。その後、すみやかに立ち、沈黙を保ったまま室内より出て終了となる。

表へ出ると、タンブン(寄付)を募っているが、これは国葬への寄付である。

全ての人が寄付をしていた。宮殿出口ではスタッフがプミポン前国王陛下の肖像写真を配布しており、写真を受取る。皆、プミポン前国王陛下の思い出話等しながら、帰途へつく。王宮周辺は交通規制をしており、また無料シャトルバスが行き交っているため、帰りも非常にスムーズであった。

プミポン前国王陛下への想いが一つになり、そして、各人が各々の役割を徹底、協力しながら作り上げている、とてもよくできたシステムであり、そこには、随所に渡り、プミポン前国王陛下への敬愛が垣間見れた。

国葬には、多くの人で再び王宮周辺が埋め尽くされるのであろう。

ワチラロンコン国王陛下の権限を強化する法律が新たに施行された。これにより、これまで政府の管轄下にあった王室関係機関(王室事務局や国王秘書官長室、近衛局など王室の事務や警護を担当する5機関)が国王陛下の直轄下に置かれることとなった。

当該5機関の予算は国家予算で賄われ、職員の任免や異動は国王の意向に従って行われることとなる。これら機関が生み出した収入は国庫に納める必要はない。これらの機関が国王直轄となるのは1932年の絶対王制終結以来初めて、とのことである。

22日でクーデターが勃発してから3年を迎えたが、その日、軍関連の病院で爆発事件が発生した。21人が負傷。反軍政勢力による犯行の可能性が高いとみられているが、犯人断定、拘束までには至っていない。この事件を受けて、プラユット首相は、「爆弾事件、武器の使用、対立といった事態が続く中で、果たして総選挙を行えるのだろうか。総選挙の早期の実施にはすべての国民の協力にかかっている」と述べ、治安状況が改善しなければ来年にも予定されている総選挙がさらに延期となる可能性を指摘した。

軍事政権は、「この3年の最大の成果は平和と秩序を取り戻したことだ」と述べ、また、王位継承も、確かに懸念された混乱はなく粛々と進められた。

しかしながら、国民和解や国家改革については成果に乏しいとの声もある。

治安は確かに改善した。不敬容疑で拘束、不敬罪で逮捕の数は増えた。表現の自由等国民の権利侵害を懸念する声は高い。改正コンピューター犯罪法が成立するなど政府による統制は強まるばかりで抑圧を感じる雰囲気はある。

一方、クーデター以前の国家分断の状況はこりごりであり、バラマキ政治もうんざり。

欧米が言うような軍事政権の状況ではないし、内にいると、低成長の経済であるが、決して大盤振る舞いをせず、国の借金を増やさず堅実な政策を実行していることも伺える。平和でもある。

総選挙をしても、新憲法の下では、引き続き、軍の影響力が維持されていくのであろうが、はたしてタイ国家はどこへ向かおうとしているのであろうか。

それはやはり、タイ国民が自分達で考え、協力、一致団結しながら、導いていくしかないのではないかと思う。

プラユット首相肝いりで、今なにかと話題のEastern Economic Corridor(EEC)東部経済回廊構想。政府は、観光関連産業の投資誘致の強化、クルーズ船用港湾の整備や、医療ツーリズムの拠点となる医療センターの設置なども打ち上げた。

その他、レムチャバン、マプタプット、サタヒップの3港湾への複線鉄道の整備事業、ドンムアン空港、スワナプーム空港、ウタパオ空港を繋ぐ鉄道事業もある。

ハイテク産業に部品・素材などを供給する裾野産業の中小企業を対象とした工業地帯開発の構想も進んでいる。

また、プラユット首相が持つ超法規的な権限である暫定憲法44条を発動してまでも、

外資規制緩和を進めていく。対象は、まずは航空機部品製造や航空機のメンテナンス等事業となる。これら事業の外国資本の出資比率については50%超が認められることになる。目下、エアバスなど複数の外国企業が投資に関心を寄せている。

最近よく目にする「一帯一路」。この中国が進めるシルクロード経済圏戦略的パートナーシップにEECも連結していく構想もある。南北高速鉄道は、バンコクから東北部ナコンラチャシマとノンカイ、ラオスのビエンチャンを経由し、中国の昆明とをつなぐ計画で、中タイ両国が共同整備することで合意している。

世界の新しい希望とも言われる「一帯一路」とタイの巨大プロジェクトEECが化学反応を起こすことで、タイを中心にアセアン6億人市場が活性化し、それが、目下不透明で立ち往生する世界経済の復活の起爆剤になることを期待したい。

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