M&A月報 No.174号 「タクシン元首相の話題で熱いタイの旧正月騒動」

毎年、この時期から急激にタイは暑くなるが、同時にタクシン元首相の話題でも
熱くなるのが近年恒例となってきている。
今年の旧正月/ソンクラーンには、隣国のラオスとカンボジアに滞在するということで、
暗殺やら帰国の噂が飛び交った。

なぜこの時期か?
迷信や占いに凝っていると言われるがゆえに、地盤であるチェンマイと縁が深い
ラオス/ビエンチャンを取り結ぶ由緒ある寺院でソンクラーン中に儀式を行いたかったのか?
もしくは、支持基盤である東北部の支持者へのアピールなのか?                                  
いずれにしても、自身の存在感のPRとインラック首相のフォローなのであろうが、
ラオス及びカンボジア、共に2日間の滞在中、赤シャツの支持者数千人がツアーで両国へ向かった。
しかし、従来の見込みよりは少なく、かなり低調な“お祭り”であったかと思う。

しかし話題は多かった。
ツアーの中に反タクシン派が紛れ込み元首相を暗殺するとか、支持者が大量に作成した元首相の
「お面」をかぶった数万人の支持者に紛れて元首相が帰国するのではないか等情報が流布したが、
タイでは毎度このような噂が意図的に流されることがある。
いずれにしても、大きな混乱等なく“お祭り”は一段落したことに安堵している。

元首相は両国における集会で、
「今年中には帰国することになりそうだ。それができない場合は捕まえにきて欲しい!
国は前進しなければならないが、残念ながら、クーデター後の6年間、国の発展は止まったままである。
インラック首相は奮闘しているが、政治的対立のため思うように進んでいない現実がある。
もし私が帰国したら、首相にならずとも国民のために働く事ができるのだ。
そして政府も国民の恩返しのためにもっと仕事をしなければならない。 
タイはいま政治対立を解消し国民和解をすべき時に来ている。
その兆候はあり、国民の誰もがそれを望んでいる」
と述べた。

また、元首相は、かつての政敵であり、06年のクーデターと黒幕と言われているプレム枢密院議長に
ソンクランのお祝いの言葉も述べており、両者の和解が進んでいることを裏付ける形となった。
また、当地でも首相が副首相3人を引き連れ議長邸を訪問、
政治家同士による和解に向けて歩み寄る演出が行われた。
自身の誕生日である7月26日の他、今年で80歳になられる王妃、
60歳になられる皇太子の誕生日に帰国する考えも示唆しているが、
いまだ乗り越えなければならないハードルは多く、
年内帰国はただの希望的観測にすぎないとの声も高い。

しかしながら、元首相の年内帰国の実現に向け、憲法改正案、国民和解に向けた議論は
着々と進んでいる。閣議では期限未設定の国会の会期延長を決定し、
06年のクーデター後の元首相に対する疑惑調査等を「なかったこと」にする提案も盛り込まれた
第3者機関の報告書を審議、これをベースに審議中の憲法改正案の成立を目指すと共に、
国民和解の議論を続けていく魂胆がある。
当然、反タクシン派は“タクシン元首相の帰国が狙いであり、
また、現在の国会は首相等の不信任案の提出を認めていない立法議会になっている”と
反発を強めているが具体的な対抗措置は取れていない感がある。

タイ南部で連続爆弾テロが発生した。
野党民主党は、その元首相がマレーシアを訪問し、イスラム武装勢力の指導者と会談したことが
引き金となったと主張しているが、与党は、「武装勢力とはいかなる交渉もしない」とし、
こうした見方を否定している。いずれにしても元首相の話題は尽きない。

1日よりタイの最低賃金が一斉に引き上げられた。
首都バンコクやその周辺県、南部プーケットの計7県での最低賃金は1日300バーツとなり、
その他70県でも40%の大幅引き上げが実施された。
「生活コストは上昇の一途を辿っている。ここ数年の労働賃金を見れば引き上げ幅は妥当だ。
国民の生活水準向上には必要である」と首相は述べているが、
産業界は中小・零細企業計220万社のうち98%が影響を受け、
その内10%の20万社は閉鎖もしくは移転を余儀なくされると反発、
再引上げ延期及び民間の提案や要請にもっと耳を傾けるよう要求している。                                                
しかしながら、目下、政府は、“政府の政策に従えない企業は、他国に移転すべきである。
目下直面している労働力不足はさらに加速する。移転する企業は全面的に支援しよう。              労働集約型産業をタイで維持、支援していくことはかなり難しくなってきている。                         タイに留まる企業は競争力向上に向けた改革を実施せねばならない”
と姿勢は強硬である。 

誰もが2004年12月のスマトラ沖巨大地震と大津波の被害が脳裏によぎるほどの大地震が
再び発生した。04年時に大きな被害を受けたプーケットなどアンダマン海に面する
6県では即座に津波警報と避難指示が発令された。住民は即座に高台に避難した。                         バンコクでもビルでは大きな揺れを感じたため、屋外に避難する人で溢れ返った。
幸いなことに小さい津波だけの報告だけであり、04年の時のような大被害はなかった。
04年の時の教訓で、地震後即座の警報発令と、住民も地震を感じたら津波があるかどうかに関わらず
すぐに高台へ避難することを教訓として学んでいた。
政府、軍、住民の対応は迅速であったと言えよう。

今回の地震は、04年の巨大地震に誘発された地震とも言われている。
日本とスマトラは地下の構造が良く似ていると言われ、巨大地震後は年単位で大きな余震を
警戒しなければならず、タイ政府にも巨大地震及び大津波に対するさらなる対策の強化が求められている。

今年のタイ旧正月ソンクラン祭り、別名「1年で最も危険な1週間」中に発生した交通事故は
計2,581件で、負傷者は2,751人、死亡者は253人であった。
主な原因は、例年同様、飲酒運転とスピードの出し過ぎであった。

バンコク国際モーターショーが無事閉幕した。
総入場者数は約190万人超に達し、自動車予約台数は前年の3万5,000台を上回る5万7,000台、
売上総額約800億バーツ超の過去最高の成果であった。
昨年の洪水問題で新車購入を控えていた消費者の購入欲の上昇と
自動車メーカー各社の新モデル出展、政府の新車購入優遇策の後押しがあった。
今年の新車販売、生産台数も共に過去最高と言われており、まさに自動車業界、
メーカー各社の復活劇と言えよう。

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