お茶はもともと日本にはなく、遣唐使や留学生がもっぱら薬として中国から持ち帰ったのがその始まりである。平安時代の末に、栄西禅師(えいさいぜんし)が茶の実と茶を点てる道具、その点て方を身につけて持ち帰った。その後、鎌倉時代には、茶の湯は京都の貴族や鎌倉の武士社会で盛んになり、唐物茶器が多く輸入されるようになる。さらに室町時代なると足利幕府の元で華やかな東山文化が栄え、茶室が造られ豪華な茶道具が使われるようになる

茶を飲む行為が、美しい空間と美しい道具で演出することで「茶の湯」の概念が生まれ、上流社会での茶会の儀式となった。しかしこの時代に茶会の儀式的な形より、茶と向き合う者の精神を重視した人物が村田珠光(むらたじゅこう)である。彼は禅宗の礼法を取り入れ、禅の思想を茶の湯の思想の裏付けとした。

応仁の乱(室町時代)後、堺の町人のなかから新しい文化のにない手が現れる。武野紹鴎(たけのじょうおう)であり、その弟子である千宗易(せんのそうえき)即ち千利休(せんのりきゅう)である

貴族や武士に代わり、商人階級の新興の意気と自由な風潮の中で、「茶の湯」を「茶道」として大成させたのが、茶聖となる千利休である。

茶道具もそれまでは唐物や高麗物の舶来品であったが、千利休は日本産の物で「侘び茶」にかなうものであれば多くを取り入れていった。

茶道ではよく「わびさび」が用いられるが、「侘び」「寂び」日本独自の美意識を表す言葉であり、例えば質素で静かな様子や不完全であることを良しとするイメージである。

今や英語でもWabi-Sabiが通じ、日本文化を海外に紹介するときに、言葉の代名詞として用いられることが多い。そして「わびさび」の美意識は禅宗とも結びついている。

米アップル社の創業者のひとり、スティーブ・ジョブズ禅に傾倒し曹洞宗(そうとうしゅ)の僧侶を師と仰いでいる。彼の作品は洗練さを極めており、禅の影響を強く感じる

茶道の教えのひとつに「一期一会(いちごいちえ)」の精神がある。一生に一度しかない貴重な機会であるという意味である。波乱の戦国時代、出陣の前に主人が仲間を招き、皆が狭い茶室で一緒に茶を飲む。しかし今日、共にお茶を飲んだ人ともう会うことが出来ないかもしれない。

生きるか死ぬかの極限状態であったからこそ、より精神性が求められたのであろう。

だから茶道において「相手を最高にもてなす」というおもてなしの精神が確立されたのであろう。東京オリンピック・パラリンピックの時、この「おもてなし」の言葉が流行し、選手を心良くお迎えする気持ちの基本となった。

皆さんも今までに一度は抹茶(薄茶)を飲んだ経験があるでしょう。甘い茶菓子を頂き抹茶を頂くと、少しほろ苦く風味が強いが茶菓子の甘さと相まって美味しかったと思います。機会があれば是非また飲んで見てください。

千利休は人間関係を非常に大切にした人物として知られています。

その名言の一つに「小さな出会いを大切に育てていくことで、人生の中での大きな出会いになることもある」という言葉です。

人間同士の小さなつながりだったものでも、人生の中でそれが大きなつながりになることもあります。

幸せとの出会いを幸せに感じられないのはもったいないことです。

このことはビジネスの世界においても十分通用する教訓だと思います。

今後の皆さんのご活躍を期待しています。