10月13日は、プミポン・アドゥンヤデート前国王陛下(ラーマ9世)の命日である。 今もなお、タイ国民に強く慕われているプミポン前国王陛下の功績や足跡をあらためて辿ってみたい。

 プミポン前国王陛下は、「国家の安定と繁栄を導き、国民の暮らしの安定を心から配慮され、社会に貢献する国王」を実践されてきておられた。国民の暮らしを支え続けるそのお姿が「王室開発プロジェクト」などを通じて、国民ひとり一人と心の絆により結ばれていたからこそ、今なお、国民が深い敬愛の念を抱き続けているのは皆さんもご存知の事だと思う。

プミポン前国王陛下が提唱し続けてこられた理念・哲学に「足るを知る経済(Sufficiency Economy)」というものがある。プミポン前国王陛下が推進、指導してこられた「王室開発プロジェクト」その総数は、1952年以降約3,000を超えるが、それらプロジェクトは「足るを知る経済」理念・哲学に基づき、「人間の自立のための開発」を目的とし、地理的・社会的条件を合わせ活かした開発及び持続性を原則として行われてきた。 農村におけるプロジェクトの場合、地理的条件とは、地勢の把握と言えよう。一方、社会的条件とは、その地域独特の文化や生活様式を尊重し、尚且つ、そこで長年に渡り培われてきた歴史ある知恵を活用することと言える。プミポン前国王陛下は、そこに住む人々と直接対話することを大事にされてきた。

そうでなければ、人々の本当の考えや思い、真に求めているもの、つまりニーズを発掘・把握することは出来ない。農村視察の際、風雨の中をも歩かれ、地図と鉛筆、カメラを片手にそこに住む人々のためご熱心に調査をされては、人々の輪の中に積極的に入って行かれるなど、そのお姿は国民の心に深く焼き付いている。 

限られた天然資源の適切な活用と管理という、「足るを知る経済」理念・哲学に基づいたプミポン前国王陛下の新しい農業理論はあまりにも有名である。それは、農民世帯が所有する土地を次の4区画に分け、持続可能的に利用し、最終的には事業にまで発展させていくというものである。 

  • 30%:乾季の耕作時に使用する水源にすると同時に魚を飼育するための池
  • 30%:一家が一年に消費する米を耕作するための土地
  • 30%:園芸作物及び果物の栽培にあてる集積地
  • 10%:住居及び家畜飼育やきのこ栽培、道路にあてる土地 

自給自足から始まり余剰分を蓄え、販売への準備を行い、販売集団を形成することによって生産活動、市場取引が発生し、協同組合ができる。そして更なる利益追求のために銀行や民間企業からの資金を募りつつ、高度な商取引を促進、事業を拡大させていくのである。  タイ国民に恩恵をもたらしているのは、この新農業理論だけでなく、水源や灌漑施設の開発、土壌開発、教育、医療や衛生、天然資源の保全等と多岐に渡っている。そしてそれら理論や技術、プロジェクトの効果等は引き続き、世界的に注目されているのである。プミポン前国王陛下の「足るを知る経済」理念・哲学は、今となれば世界最先端の理念・哲学であると言えるだろう。そして、今、 世界がプミポン前国王陛下の「足るを知る経済」理念・哲学を見習うべき時代が来たと言っても過言ではない。 経済成長のみを追求する時代は終わった。国家が自給自足で成り立ち、そして国民が人間として自立する。そのような国家を目指し、実践し続けてこられた、それこそが世界最先端の理念・哲学と言われる所以であり、また、「大地の力・強さ」を意味する「プミポン」という前国王陛下のお名前に、これまでの歴史ある全てのプロジェクトの業績が集約されているのである。 現在、タイ王国は、コロナ禍及び洪水問題に直面すると共に、引き続き頻発する反政府デモなど、この国に暗い影を落としており、明るい兆しは見えず、国家的に不安定な状況が続いている。不安な思いに包まれている国民は多いことだろう。1992年の流血事件の事を思い出して欲しい。軍部出身の首相と民主化を進めるリーダーが敵対し、その結果、軍とデモ隊が大規模衝突。軍が無差別発砲、多くの死傷者を出し、内戦に向けた一触即発の状態となった矢先に、プミポン前国王陛下が敵対する彼ら2人のリーダーを呼び寄せ、「ひとつの国ではないか。手を取り合い国家及び国民のため協力しあって欲しい」と諭され、内戦が回避された事件である

常に国民の目線に立たれ、国民に尽くされ、そしてタイ王国が国家危機に瀕した時には「いがみ合うのではなく、協調しなければならない」と、国民ひとり一人がお互いに協調し合うことが、タイ王国に平和と繁栄を、そして国民に幸福と喜びを齎すと繰り返し諭されてきた。 

プミポン前国王陛下という偉大な国王がおり、国家・国民を支えてこられたということを国民は忘れてはならない